もともと食用ではなかった!?
多くの先人の努力の賜物「ラ・フランス」
ラ・フランスとは、洋梨全般を指すものと思われがちですが、数ある洋梨の中の一種です。現在、ラ・フランスを栽培しているのは世界の中でも日本のみ。その中でも、山形県は全国の生産量の約8割を占めています。
美味しいラ・フランスが食べられるのは、手間暇かけて育てた多くの先人の努力があってこそ。今回は山形とラ・フランスの歴史を紐解きます。
1864年
フランスでクロード・ブランシュ氏がラ・フランスを発見。
このときあまりの美味しさに、「我が国を代表するにふさわしい果物のである」と讃えたことから、「ラ・フランス」と名前がついたといわれています。
※フランス語の“ラ(la)”は定冠詞。英語の the にあたります。
1903年頃(明治36年頃)
日本にラ・フランスが入り、「高畠産はじまりのラ・フランス(120年ラ・フランス)」が植えられる。
このとき原産国フランスではすでに絶滅寸前だったとか。
ゴツゴツした見た目の悪さや栽培の手間がかかることから、『みだぐなし』(=見るに堪えないという方言と梨をかけあわせたもの)と呼ばれてしまったほどで、長く缶詰用のバートレッドの受粉樹としての役割が続きます。
1909年(明治42年)
当時の皇太子(のちの大正天皇)東北行幸の折に、特産の和梨を献上したところ大いに喜ばれ、金一封とバートレット(洋梨)の苗をいただいたそう。
これが“山形県の西洋梨の歴史のはじまり”という説も。
(山形県屋代村の古文書より)
その後、バートレットは缶詰加工用として盛んにつくられるようになり、バートレット黄金時代を迎える。(今ではほとんど見られなくなった)
1912年頃(大正初期)
山形県内にラ・フランスが広まります。
しかしこの頃も、缶詰用のバートレットの受粉樹に利用されているだけでした。
1970年代頃(昭和45年頃)
日本各地の道路が徐々に整備され、輸送の条件が良くなっていきました。 生のフルーツを腐らせることなく、お店へ運ぶことができるようになったのです。 それと同時にフルーツの需要は缶詰から生へと変化していきました。遠方へと運ぶことができるようになり、一部の人にだけ出回っていたラ・フランスが注目を集めることに。
当初は高価で少量が出回るだけだったラ・フランスが、グルメブームの到来で一般に広まりました。
1985年頃(昭和60年頃)
ラ・フランスが山形県の特産品として知られるようになりました。
官民一体となって栽培技術や品質向上に取り組むことで、ラ・フランス=美味しいというイメージが全国に広がっていった。
歴史を知ると感慨深い!山形の絶品ラ・フランス
いまでこそ山形の秋のフルーツの代表格、芳醇な香りととろけるような味わいが絶品!といわれているラ・フランスですが、60年以上もの間受粉樹としての役割だったのは驚きですよね。原産国のフランスではすでに栽培されていないというのも知られざるエピソードです。
なお、いまや5~6Lの大玉サイズがスタンダードとなったラ・フランスですが、もともとはL~2Lの小ぶりなサイズが主流でした。農家さんたちの栽培技術の高さと努力があってこその大玉ラ・フランスなのですね。
〉ラ・フランスと洋梨の違い、もっと知りたい洋梨のあれこれはこちらの記事で!
清川屋では1903年頃、初めて山形にもたらされたラ・フランスの樹から採れる貴重なラ・フランス「高畠産はじまりのラ・フランス」を取り扱っております。そのほか、ギフト人気の高い大玉ラ・フランスなど、多様なラインナップをご用意。ラ・フランスの長い歴史に思いを馳せて召し上がってみてはいかがでしょうか。
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